2024年5月更新、自己紹介ブログ
まぁまぁ長いです。
心してご覧ください(笑)
ではではどうぞぉーーーーー
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北千住西口徒歩2分の美容室
smoos' by GULGUL
スムーズ バイ グルグル
ディレクターの工藤優輝と申します。
工藤ユウキ
と表記している場合が多いです。
特にこれといった意味は無いですが知り合いの占い師さんにそう言われました。そして優輝って漢字はなんかゴチャゴチャしてるし歌○伎町のホストで居たし(画数多過ぎて書く時大変…)ユウキの方がシンプルで良いんじゃないかなーと思っている次第であります。
と早速脱線してしまいましたが私の自己紹介を書いてみたいと思います。
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生まれは千葉県、野田市
千葉県の最北端の市です。
キッコーマン本社があるのと清水公園がそこそこ有名です。
父は自営で印刷業、母は事務職、9歳離れた兄と2人兄弟といった、ごくごく平凡な家庭に育ちました…そのはずなのにも関わらず好奇心旺盛な性格です。
趣味は仕事(笑)、ゴルフ(2020年10月から始めて2021年7月には100切り達成)、小2の娘と戯れること
とにかく何でもできる(気がしている)器用なタイプです。
ただ集中力がハンパじゃないので、何でも「やりすぎる」節があり、良くも悪くも夢中になると結果を出さずにはいられません。
そんな僕が美容師になったきっかけは高校生…
僕は何を考えていたのか、超ど田舎の全寮制の愛知県の高校に行ったのです。
そこはとてもとても自由な校風でした。
・校則が無い
・テストが無い
・制服が無い
そんな自由な校風にいたので当然自由人な
人間が育ちます。(そもそもの気質が自由人)
出席率なんでちょっとここでは言えないくらいしか出ていなくて、卒業できたのが奇跡でした…
この高校を選んだ理由は中学校が僕の入学する一年前まで男は全員ボウズにするという(笑)今ではあり得ないとても厳しい中学校だったのでその反動も大きかったのです。
高校生になった好奇心旺盛な僕は、中学生からやっていたスケボー片手に、そのカルチャーや音楽、DJ、バンド、そしてヘアスタイルやファッションに夢中になっていました。
根底には人と同じがイヤだ!という気持ちが強かったんだと思います。いつだってマイノリティな方を目指していたし、それが、カッコいいとさえ思っていました。
そんなカルチャーの影響を受けてか、周りの友人達は似たもの同士が集まり、ノリで友人の頭にアフロみたいなハードパーマかけたりして遊んでいたり…
いま思えばその時かけたパーマが今のこの美容師になる大きなキッカケになっていたのかも知れません。
常に自由な校風のなか生きてきて、自由に憧れていた僕は、高校生活の中で「自由とは不自由だ」という結論に達しました。
好きにやっていいよ…と言われたら困る人が殆どなんじゃないでしょうか?
あくまで自由という言葉の裏側は「自主性」を尊重するという意味合いもあったので、やりたいことが見つからない人は次々にその高校を辞めて行ったのです。
けれど僕は中学の時はめちゃくちゃ規制されて厳しくて、人と同じじゃなきゃ注意されるし下手したら殴られる(笑)そんなのに嫌気が差していたんですね、きっと。
高校3年間を通じて勉強で覚えたことと言えば
サイン、コサイン、タンジェント
くらいです(笑)
その代わりに、他人と一緒に生活をすることで今でも大切な友人と出逢えたことが大きな財産ですし、人としての考え方、生き方、価値観を大きく学んだ3年間だったと思います。
親と離れたことで少なからず感謝の気持ちは芽生えましたし、基本的に掃除も洗濯も自分でやることで、生活する大変さ…みたいなのも身につけました。
たまに寮生活についてお客さまに聞かれることもありますが、僕はとても推奨しています。
ですが…
そんなこんなで高校も卒業する間近、なんと僕は全く進路が決まってなかったんです…
そんな高校だったので、進学意欲が強い人は誰からの影響も物ともせず勉強に打ち込み良い大学にしていたり、はたまた卒業してもフリーター、ニートになっているようなめちゃくちゃ格差の高低差が激しい進路だったのです。
僕は3年間で何も決められなかった…
やりたいと思うことが見つからなかったんですよね…(強いて言えば何とか遊んで暮らせないかな?くらいだし世の中を舐めてました)
ただ、親元を離れて暮らした経験から、親には迷惑かけたくない!というのが強くあったので、リゾートバイトでも探して食い繋ごう!くらいの軽い気持ちでした。
そのまま卒業を迎えたのです。
その頃の僕は髪も肩くらいまであり、いわゆるロン毛な感じのチャラチャラした感じだったんで卒業したタイミングで何か変わらなきゃ!そうだ!髪切ろう!と思い友人に紹介してもらい、美容室に行ったのです。
忘れもしない3月中旬…
バッサリ切ってくれた方は店長さんでした
僕「いやー、高校卒業したのに何も決まってないんですよーヤバいですよねー」
なんて話してると
店長さん「えー、そうなの?じゃーうちで働けばー??」
と言ってくれたのです。
新規できた高卒のヤバいやつにいきなりそんなこと言うことってあります?
しかも資格も持っていないのにまさかのオファーにえ?本気で言ってるのかな?と疑わざるを得ませんでした。
そして髪を切ってから1週間。
悶々と考える日々。
このままずっと実家に居るわけにはいかないし、迷惑をかけたくない。自立したい。店長さんが言ったことが本気かどうかなんてわからないけど、こっちが本気ならきっと話を聞いてくれるはず…
そう思いながら勇気を振り絞って出して電話を掛けました。
働かせてください!
案の定、店長さんは少しキョトンとした様子で社長への面接を通してくれました。
後日、面接当日。
慣れないスーツを着て面接する事務所に向かいます。
一軒家の事務所にはセルシオなどの高級車が停まっていて、緊張しながらインターホンをプッシュ。
心地よい日差しが差し込む応接間で面接が始まりました。
緊張している僕に社長は
「本当に君大丈夫?続けられるの?自分では器用だって書いてあるけど挫折してもやっていける?」
僕にはとにかく「やります、できます、がんばります」しか言えなくて面接が終わったあと「あ、これは失敗したな…」と思って落ち込んでいました。
しかし数日後…
「4/1から働いてもらうよ」と電話が
人生の何があるかわからないものです。
髪をいじるのは好きでしたがまさか仕事になるとは思ってもいなかったので、正直やるしかない!と思う反面不安もめちゃくちゃありました。
入社してもまともに敬語も使えず、自由な生活を身につけてしまっていたので、何回も遅刻するわ、上司に口答えしてケンカするわで今の自分だったら本当あり得ない!と思うヤツでした 。
やはり持ち前の器用さは持ちつつ覚えるのは早かった方なのですが、いかんせん遊びたくて遊びたくて練習をするのが大嫌いでした…
まわりの友人は土日祝日休みで僕は平日休み。終わるのも早いし給料もいい。(僕は初任給8万円)遊びたさが優先して忙しい週末前にも関わらずオールで仕事にいくなんてこともしょっちゅう。
そしてそんなまわりの友人達が羨ましく思い、まさに隣の芝が青く見える状態でした。
まぁいきなり始めた仕事で何も知らないし、覚悟が決まってなかったんです(笑)
そんな毎日を過ごし、1年を経つ頃には少しずつ髪を切らせてもらうことも多くなったものの、最初の3年は本当に辞めたいと思う日が多かった。
本当にこの仕事でいいのだろうか?もっと道があったのでは?
ただ、散々高校で遊び回ったし親にも迷惑かけてきたから親孝行だけはしたかったので、逃げちゃダメだ!とだけ自分に言い聞かせて仕事しながら死ぬ気で遊びました。
そして、なあなあになりながらもその時は突然にやってきます。
社長「工藤くんだからこそのお願いがあるんだけれど、○○店が傾きそうだから、他のメンバーと一緒に立て直してきてもらえるかい?」
働き始めて3年が経った僕は、その曰くつきの店舗へ異動することになり、それと同時にチーフという役職をいただくことになりました。
その店舗は店長が抜けたことで店内の状況がボロボロになっており、統率も取れず、お客さんも半分以下にまでなっていて苦労しました。
最初にいた店舗は黙っていてもお客さんが来てくれるお店だったので、どうやったらお客さん来るんだろう?なんて真剣に向き合うことすらなかったのです。
自分ができることを探し、自分が思いつくことは何でもやってみました。
とにかくチラシを配りまくり、お客さんになりそうな人がいれば仲良くなり、紹介キャンペーンを考案してお客さんを集めてみたり、近所にご飯食べに行っては名刺を渡したり…
おかげさまで1年経つ頃にはある程度立て直すまで至ることができ、それまで仕事で大きな苦労をしていなかった自分としてはそれが糧となり、とても良い経験になったのです。
そんな日々を送りながら突然チャンスが舞い込んできます。その当時では有名なファッション誌の撮影の仕事ができそうな話しが舞い込んできたのです。
僕の働いているお店は有名ではなかったし、自分から取りに行かないとなかなからそのようなチャンスが手に入れることはできません…
もうやるしかない。
社長に直談判し、僕にやらしてください!と語気を強めて伝えました。
もちろんその頃の僕は全然撮影の経験もなかったし、周りで撮影をしているような美容師もほとんどおらず、全くできない可能性もあるのに「いけるっ!」って思って言ってしまったんです。
殻を破った瞬間だったのかも知れません。
片っ端からモデルになってくれそうな人に声を掛けて見つけてきて、カメラマンも探してその頃はエクステンションが一大ムーブメントを起こしていたので、エクステンションをつけて撮影に挑んだのです。
まったく出来ないし今見たらとてもじゃないけど恥ずかしくて見てられない出来上がりだったのですが、なんかこう思ったんです。
めちゃくちゃ楽しいーーーーー!!!
って。
えっ?美容師ってこんなにおもしろかったの?
その感覚が今でも繋がっています。
それまではきづかなかったけど、スタイリストになって初めてお客さまを担当させてもらえるようになってからがスタートだったことに気づいたんですよね。
美容師が天職だー!!
ってその頃あたりから良く言っていた気もします。
それから数年して25歳で店長、27歳で2店舗の統括ディレクターをさせていただき、11年勤め上げた後、ヘッドハンティングを経て、いま現在のお店
smoos' by GULGUL
にて働くことになりました。
smoos'でもかれこれもう14年になります。
ヘッドハンティングで副店長として入社ということもあり、そのプレッシャーからそこから数年はガムシャラでした。
1年ちょっとでNo.1スタイリストになり、ずっと記録を伸ばし続けます。
ただ、そんな日々が続くわけでもなく、様々な紆余曲折があり、ある時期からは僕は独立しようと考えようになりました。
このブログは2015年8月から約2年間は毎日欠かさず書いているのですが、ちょうどその頃からですね…
ただ、それも功を奏でたのか、社長が変わり(M&Aで買収され)今までの「独立したい」という気持ちが一変しました。
毎日書いていたブログがベースとなり
雑誌などの掲載、取材
かなり多くの同業者とのつながり
美容メディアでのライター業
撮影会のグループ(100名超)
有料オンラインサロン主宰
娘の絵本のクラウドファンディング成功
絵本発売
などができたことでブログの目的のひとつであった「少し有名になる」ことができました。
2019年あたりを境にサロンワークで一線で活躍することをやめ、次世代育成のためにマネジメントに力を入れて活動させてもらっています。
社内では
カリキュラム作成
給与査定管理
リクルート活動
撮影会運営
LINE公式アカウント運用
社外では
オンラインサロン運営
オンラインビジネスのプロモーション
撮影会運営
クラウドファンディング
など、ブログを始める前の自分ではあり得ないくらいの仕事の幅をいただけています。
現在は月水土日曜日がサロンワーク
火曜金曜休み
木曜日は事務日として社内の仕事を
とても充実した毎日を過ごしています。
さらに
アイラッシュ事業部を始めることになり、1年半がすぎました。
アイラッシュ事業部に大きな思い入れがあります。
2019年、友人のアイラッシュ店長から電話で4時間にも及ぶ(笑)相談を受けたのを機に、アイラッシュをやることが会社の為、そして美容師の為、ひいては社会の為になるのでは!?!?
と思い数十ページにも及ぶプレゼン資料を作成し、社長にプレゼンしました。
その名も
「アイラッシュ100店舗計画」
みたいな内容でした。
悔しくも、プレゼンした少し後にコロナ禍がやってきてしまい、その話は一旦なくなってしまいましたが、コロナ禍が明けてから
「工藤、やってみない?」
という声を社長(大河内)から掛けてもらい
スタートしました。
現在は柏と上野御徒町の2店舗、8名のスタッフが在籍しています。
まだまだ道半ばではありますが、アイラッシュ事業には大きな可能性を感じています。
人の美に携わる…
という意味では美容師と同じ。
美容師のように手荒れの心配もない。
デビュー(担当できる)までの時間も短い。
苦戦して苦戦してアレコレといつもスタッフを振り回してしまい申し訳なさもあるけれど、いつか
「ここで働くことができてよかった…」
と思える事業にしていきたい。
いやほんとでも新事業は成長しかない。
ほんと悩みが多いw
でもやりがいはすごい。
そんなチャンスを与えてくれた会社に出会えた俺はラッキーだし、ありがたい。
まだまだだけれど、また今度この
【自己紹介ブログ】
を更新する時はどうかな??
3年後の俺、どうしてる?笑
また更新する日を見ている方も楽しみにしていただけたら本望です。
相も変わらず今後の目標としては
美容室で終身雇用ができる会社をつくる
というのが根幹です。
その為にお店や会社やスタッフ達がたくさんの人に愛してもらえるような、それを実現する為に日々奮闘しています。
まだまだこれからもよろしくお願いします。
2024年5月24日
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