下町ロケットの植松努さんのFacebookの内容を見て
あーーーー!!!
ってなりました。
信じること
裏切られること
そもそもの信じるっていう言葉をとてもとてもわかりやすく文章にされていて、とても腑に落ちました。
そして身の周りのステキな人達はこれに近しい感覚を身につけている方が多いことにも気づきました。
いつか植松さんの講演を聞きにいきたいと思います。
ステキ過ぎます。
自分もかくありたいものです。
※以下、Facebookより引用(全文)
僕は34才で会社の経営者になりました。
それまでは、植松電機は、僕と父さんだけの青色申告でした。
父さんは、人を雇用できませんでした。
自分の思う通りにならないと「バカヤロ」「コノヤロ」の人でした。
だから、父さんは、技術があるので、よい仕事をしていましたが、会社を経営できていたとは思えないです。
だから僕も、会社経営を全く知らない状態で経営者になりました。
わからないことだらけです。
そんな僕に、先輩経営者がいろんなことを教えてくれました。
「社員を信じない方がいい。親密にならない方がいい。裏切られる。」と
教えてくれる人が沢山いました。
おそらく、そういう経験をしてきたのだろうと思います。
でも僕は、だめでした。会社で働く人を、「社員」とか「従業員」と思えないのです。
だから、家庭のこととか、いろんなことまで気にしてしまいました。
でも、裏切られたことはないと思います。
もちろん、世間一般的に言うところの、「裏切られた」に相当する事はあったかもしれません。
でも、僕は、信じると、裏切られる、の意味を考えたのです。
なぜ、信じると裏切られるのだろう?
というか、信じるってなんだろう? 裏切られたら何がつらいんだろう?
信じるって、「あの人は、きっとこうしてくれるはず・・・」のような気がする。
裏切られるって、「あのひとが、まさかこんなことするなんて・・・」の様な気がする。
ってことは、一般的な「信じる」とは「自分の希望を一方的に相手に押しつけること」で、
「裏切られる」とは、「自分の思う通りにしてくれないからおもしろくない」かも・・・
それって、ものすごく利己的で傲慢な考え方かも・・・・
では、本当の信じるって、なんだろう?
もしかしたら、「自分が信じた相手が、どんなことをしても受け容れること」かも・・・
だとしたら、「裏切られる」という状態は、なくなるんだな。
もちろん、これは、ビジネス上の契約の話ではありません。
人間同士の人間関係のお話しです。
利害が絡むことは、ちゃんと相互の権利を確認し、権利が守られなかった場合のペナルティに関する契約を交わす必要があります。
そして、契約に違反されたら、ペナルティを求めればいいだけです。
(そういう意味では、個人情報保護の契約書が一方的すぎます。万が一個人情報が流出した場合のペナルティが一切書かれていないです。)
僕は、会社に新しい仲間を迎えるとき、それは、恋愛のようなものだと思っています。
相思相愛っぽい感じなら、相手を信じられるはずです。それなら一緒に働けばいいです。
でも、恋愛関係でも、ちょっと困った人達もいます。
恋愛関係なのだから、相手の自由を束縛してもいいんだ。
相手は自分の所有物だ。自分の命令に従わないといけない。
なんて感覚の人達は、一緒に働くことになっても、本当の意味での「信じる」ができなくて、
「裏切られる」のかもしれません。
だから、雇用条件とか、福利厚生とか、休日の日数とかだけで、働く先を決めるということは、
それは、恋愛とはほど遠い状態かも。だとしたら、「裏切られる」かも。
(ん?もしかして今は、交際相手も、収入とか、してくれること、で選ぶのか?)
ときどき、親子間でも、「信じていたのに裏切られた」が生じることがあります。
それは、正しい愛情に基づく関係になっていないのかも。
新しい仲間、新人さんを迎えた会社も多いと思います。
「自分の希望を相手に一方的に押しつけていないかな」は、時々考えた方がいいかも。
もしそうだとしたら、早晩裏切られるかもしれません。
大事なのは、「自分が信じた相手が、どんなことをしても受け容れること」です。
だからもちろん、自分が信じられない相手を、受け容れないほうがいいです。
相手を信じられるかどうか調べるのが、入社試験でしょ?
それとも、入社試験でチェックしてることは、新人のスペックと「こいつは我が社にどんなことをしてくれるかな?」ですかね?
双方でそれをやったら、そこには、「裏切られた」しか残らないかもね。
今一度、「信じる」について考えた方がいいかもしれません。
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